「本来繋がりにくい蕎麦が、人と人を繋ぐ力がある」。そう語られるのは、まさに妙味というものでしょう。私も蕎麦屋を開業し、それまで知らなかった多くの方々との縁をいただきました。
このコラムでは、奥深い蕎麦の世界を紐解きながら、そのルーツから、四季折々の行事との結びつき、そして美味しい蕎麦との出会いについて、蕎麦愛を込めて綴っていきたいと思います。
私たちの食卓に欠かせない蕎麦。その起源は、今からおよそ五千年以上前の紀元前3000~4000年頃とされていますが、残念ながら確かなことは分かっていません。
その故郷についても、様々なロマン溢れる説が存在します。中国東北部からシベリアのアムール川流域、神秘的なバイカル湖周辺という説もあれば、雄大な中央アジアの高原地帯、あるいはチベットなどの南方地域という見方もあります。
近年有力なのは、染色体を手がかりにした細胞遺伝学的な見解で、蕎麦は中国の雲南省付近で生まれたと考えられています。
では、日本へはいつ頃やってきたのでしょうか? 定説では、中国から朝鮮半島を経て、約三千年前、稲よりも千年近くも前に私たちの土地に根付いたと言われています。しかし、これもまた確実な記録はないのです。
広く蕎麦が栽培されるようになったのは、五世紀の中頃のこと。そして八世紀には、凶作対策として元正天皇が農民に蕎麦の栽培を奨励したという記録が残っています。痩せた土地でも育ちやすく、栄養価も高い蕎麦は、その後、日本各地へと急速に広まっていきました。
日本の豊かな四季の中で、蕎麦は様々な表情を見せてきました。特に、月の最終日である「晦日」に食べる晦日そばや、節分の日にいただく節分そばは、多くの方が耳にしたことがあるのではないでしょうか。
私の家でも、大晦日には欠かさず年越しそばをいただきます。この習慣は、なんと七百年も前に遡るのだとか。中国の商人がお寺で蕎麦がきを振る舞ったところ、翌年幸運が訪れたことが始まりと言われています。最初は蕎麦切りではなく、蕎麦がきだったのですね。
大晦日だけでなく、かつては毎月の晦日に、「鶴は千年、亀は万年」の長寿にあやかる「鶴亀」、そして「お金が切れない」という縁起を担いで蕎麦を食べる風習もあったそうです。
また、節分には、邪気を払い清らかな心で立春を迎えるために、清めの蕎麦をいただく節分そばという習慣もありました。こうした風習は薄れつつありますが、その意味を知って味わう蕎麦もまた、趣深いものです。
確かな理由は分かっていませんが、女の節句である雛祭りの翌日、三月四日には、五色の美しい五色そばをお雛様に供える習慣があった地域もあるそうです。
さらに、蕎麦は弔いの場でも重要な役割を果たしてきました。親鸞上人の命日に行われる御正忌そば、そして蕎麦地蔵尊を供養する蕎麦など、特別な時に蕎麦を食す習慣があったようです。
現代でも、引っ越しの挨拶には「細く末永くお付き合いを」という願いを込めて蕎麦を贈る引越しそば、そして家を新築する際の上棟式では、かつて壁が落ちないようにと願いを込めて棟上そばを振る舞う習慣がありました。(参考:蕎麦なぜなぜ草子)
私が蕎麦処「暁山」を始める前、市内の蕎麦屋さんを巡る中で、必ず注文したのが「もりそば」でした。その店の蕎麦の真髄を知るには、飾らない「もり」が一番だと考えるからです。
あくまで私の好みを例に、蕎麦の味わい方をご案内しましょう。
まず、蒸篭やざるに盛られた蕎麦の美しい姿をじっくりと眺めます。艶と張りがあり、見た目からして美味しそうかどうかを見極めます。
次に、つけ汁を箸の先に少しつけて、そっと味わいます。濃いのか薄いのか、辛口か甘口かを感じ取ります。濃く辛口であれば、蕎麦の三分の一程度をつけ、すすり込みます。薄口であれば、しっかりとつけても良いでしょう。
箸で蕎麦を少量つまみ、口へ運びます。噛みしめるほどに広がる蕎麦の香りと、ほのかな甘みを堪能します。そして、程よい弾力、いわゆる「コシ」があるかを確認します。ただ硬ければ良いというものではありません。
いよいよ、蕎麦を箸でつまみ上げ、つけ汁の濃さに合わせてつける量を調整し、勢いよくすすり込み、喉越しを楽しみます。この時、蕎麦の断面が角が立っているかどうかも、重要なポイントとなります。
薬味は、最初から全て入れるのではなく、一種類ずつ試すことで、蕎麦本来の風味がより深く味わえます。ワサビを直接蕎麦につけて食べる方もいらっしゃいますね。食後には、栄養豊富なルチンが溶け出した蕎麦湯でつけ汁を割り、最後の一滴まで味わい尽くします。
ついつい語りすぎてしまいましたが、蕎麦の食べ方に決まったルールはありません。ご自身が美味しいと感じる食べ方を追求するのが一番です。
美味しい蕎麦の基準は、人それぞれです。江戸風の繊細な細打ち蕎麦を好む方もいれば、田舎蕎麦のような力強い太打ち蕎麦に惹かれる方もいます。
また、蕎麦の香りが強く、ややざらっとした食感を好む方もいれば、細く、かすかに香る上品な蕎麦を好む方もいます。
では、私が考える「美味しい蕎麦」とはどのようなものでしょうか。蕎麦を二、三本箸でつまみ、口に運んだ瞬間、豊かな蕎麦の香りが鼻を抜けること。
太さは1.6ミリから1.8ミリ程度で、口に含むとプリンとした滑らかな食感があり、噛むほどにほんのりとした甘みが広がること。そして、喉越しが心地よいこと。
美味しい蕎麦を打つためには、何よりも良質な蕎麦粉との出会いが重要です。
「暁山」では、地元茨城の豊かな大地で育った常陸秋そば玄そばを発芽させて、天日で干し、石臼で丁寧に挽いた蕎麦粉使用しております。なお、食感を重んじて、北海道幌加内産のキタワセの丸抜きをこちらも自家製粉して、ブレンドして、食感の良い風味豊かな蕎麦に仕上げております。